本巣市地域おこし協力隊~まっくす隊員ブログ

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2014年 09月 11日

越波(おっぱ)週末ワークキャンプ~秋合宿編~

9月6日(土)~9月7日(日)
根尾地域にある、たった2人だけの越波(おっぱ)集落で、「越波週末ワークキャンプ~秋合宿編~」を開催しました。
5月の春合宿編、7月の夏合宿編に続いて、今回で3回目の開催です。
参加していただいたのは、県内外から12名です。(参加者内訳:岐阜県4名、愛知県4名、京都府1名、奈良県1名、東京都1名、千葉県1名)
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簡単ですが、越波集落の紹介をします。
『たった2人だけの集落』
『携帯はソフトバンクしか通じない』
『冬は豪雪のため通行止め』

※現在、住民登録をしているのは、自治会長の松葉三郎さん(73)、前自治会長で兄の松葉五郎さん(84)の2人だけとなっている集落です。

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■9月6日(土) 天候:晴れのち雨
10:15 樽見鉄道樽見駅に集合、簡単に自己紹介
10:40 樽見駅→越波へGo!!
    根尾地域中心部にある樽見駅から越波集落までは手配した行政バスで1時間の移動。
11:40 集会所着、ミーティング、昼食
12:50 集会所→三段滝へGo!!
13:00 三段滝着、三段滝までウォーキング
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13:35 三段滝→集会所へGo!!
13:45 集会所着
14:00 越波集会所→蛇池(じゃいけ)へGo!!、蛇池の復旧作業開始!!
【作業内容】
→蛇池の復旧作業です。
蛇池は昔、越波の子供たちが毎日のように遊んでいた河原のことを言います。過去2回の「越波週末ワークキャンプ」で完成間近となっていましたが、先月の台風11号による大雨の影響で大きく崩れてしまいました。今回は蛇池の"復旧作業"をしていただきました。
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▼今回も、作業途中の休憩に登場したのは、岐阜農林高校の「まくわうりアイス」
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→本巣郡北方町にある岐阜農林高校の生徒さんが作ったアイス。岐阜農林高校で飼育している牛から絞った生乳と、飛騨美濃伝統野菜である「まくわうり」を使ったアイスです。まくわうりは、12世紀頃から真桑村(現在の本巣市真正地域)にてよく作られていたため、この名前が付きました。今回はミルク味も持ってきていただきました。
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16:30 作業終了、蛇池→集会所へGo!!
▼蛇池は皆さんのおかげで、無事復活しました。
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16:45 シャワー、夕食準備
19:00 夕食、交流会へ
▼弘法芋の塩煮(弘法芋は越波産/調理は隣の黒津地区のおばあちゃんに依頼)
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▼煮物(樽見駅前にある僕の行きつけのお店、食事処たなかのお母さんに注文)
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▼さば寿司「さば物語」
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→その昔、越前歩荷と呼ばれる福井の行商人が、はるばる県堺の温見峠を越えて山里の根尾地域まで塩漬けの魚を運ぶようになりました。魚は貴重なタンパク源です。保存のきく寿司となり、祭りの席などで振る舞われるようになり、「さば寿司」は海のない根尾の人々の中に根付いていきました。今回は根尾八谷地区出身で「さば物語」を販売している黒田さんに提供していただきました。参加者に大好評でした!!
詳しくは→http://www.kuroda-works.com/sabamonogatarijigyoubu.html
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■9月7日(日) 天候:晴れ
07:30 起床、朝食、自由時間
09:30「越波ふるさと会議」準備
10:00「越波ふるさと会議」スタート!!
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→ふるさとについて語り合い、参加者である県内外の若者と地元住民がふるさとについての考えを共有する、それが「ふるさと会議」です。今回は、1時間半の時間を設けました。前半戦のいくつかの質問は僕が用意したものですが、後半戦については敢えて質問を用意しませんでした。そう、全くのノープランです。なぜそうしたかというと、その場の、その時にしか生まれない空気感を大事に進めたいなぁと思ったからです。
さて、最終的にどういう話の展開になっていったのか、見てみましょう。

【前半戦】


―――お兄さんである五郎さんが40年以上務めてきた自治会長を引き継いだ時の心境、覚悟というのはどういったものでしたか?

三郎さん:「数年前、兄がそろそろ自治会長という仕事を終わりにしたいということを僕に漏らしました。そうなった時に越波の人たちや出身の人たちを見て、誰が村の自治会長を出来るかなぁということをずっと考えていました。出身者の家を一軒一軒訪ねていっても、正直言って思い当たる人がいなかったですね。ですので、自治会長は僕が引き受けざるを得ないはめになってくるだろうということで。周りの方にも三郎さんがやっていただけるんならやっていただきたいという意見が強くて、それで4年前ですか、総会があった時に、その場で満場一致ということで決まって引き受けたわけなんです。ただ、自治会長を引き受けて後悔することもあります。何を好んでこんなことをやっているんだろうなぁと、ふと思う瞬間もあります。でもよく考えたら、もし僕がいなくなったらどうなるんだーって。やるんなら楽しいことを見つけてですね。楽しいことがなければ、出来ることじゃないですもんで。」

―――秀若さんは、三郎さんが自治会長を引き継いだことを、どう受け止めていましたか?

秀若さん:「私がこの越波を意識したのが今から18年前、その頃は、8~9人のお年寄りの方が春から秋まで畑をしていて、私は当時は現職だったのでなかなか来れなかった。でも、たまにここに来ていて『この8~9人の人たちがいなくなったら、ここは滅びるな。』と思って…。それがきっかけで何かを残そうということで冊子「ふるさと越波」を作った。今から7年前に退職してから越波へ来だした。まぁ思うのは、ここの自治会長は、町の自治会長とすごい差があって、本当に大変なんです。三郎さんは一宮から片道1時間半、週に3回も4回もここに来る、ガソリン代だって計り知れんよ。そういう意味でも本当に頭が下がる思いなんです。本当に三郎さんのバイタリティー、やり通す意志、尊敬しているので、これからもサポートしたいっていうのが私の思いです。」

―――数年前、豪雪の時のエピソードを教えてください。

三郎さん:「6年くらい前に豪雪になりましてね、もう越波は半分以上の家屋が埋まっているんじゃないかなぁという思いになって。それで兄と一緒にゲートが閉まっている折越林道の入り口まで車で行って、そしたらゲートは閉まっていて車で行くことはどうしても不可能だった。でもせっかく来たんだから、かんじきを履いて越波まで歩いて行くことにしましてね、1人で。兄にはここで待っててくれって言って。往復で6時間くらいかかりましたね笑。1人で峠を越えて、しばらくしたら、雪がドームになっていたんですね、そこを気づかず歩いてたらストーンと落ちて、肩まで雪に埋まって這い上がることができないんですよ。下が空洞でしょ、手をかければ雪が崩れる、どうしたもんかなぁと思ってね…、なんとか山沿いに隙間を見つけてですね、雪の上に戻ってようやく村まで辿りついた。それで一軒一軒の家を見て回ってね、雪で家が壊れていないか確認した。結果、どこも大したことなかったので嬉しくなりましてね。一宮に戻ってから家主みんなに電話を入れて、「あなたの家大丈夫だったよ。大丈夫だったよー。」と伝えて。」

―――越波の率直な印象を教えてください。
(参加者の皆さんに話してもらいました。)

■『自然がいっぱいだから食べ物とか自給自足できていいんだろうなぁって最初思ってたんですけど、三郎さんのお話を聞いて、昔は山に囲まれていて、お米があんまり取れなくて大変だったと知って。コンビニとかが存在しない昔は、もっと大変だから人との絆とかも深かったのかなぁと思ったりしました。』
■『何もなくて、でもそれが良い所だなぁーって感じました。普通の観光地とか行ったら、観光地は見て終わりだけど、越波に来たら何もない分、人との触れ合いがあって、毎回会話が違ってきたりして飽きない場所だなぁと思いました。』
■『なんでここに住み始めたのかという疑問が出てきました。利便性もいいわけでもないし、何かに特化している土地柄でもないと思いますし。』
■『樽見駅から来るときにこんなにもっと行くの、もっと奥に行くのってすごく思って…笑。でも、越波に着いたら想像以上に家が密集していて。密集している分、人との関わりも多いんだろうなぁーって思いました。』
■『来るときの印象なんですけど、越波に行くまでにすごい時間をかけて来ます、利便性もないです、そんなところに今でも住民票を置いて、人が来てます。そんな場所ってどんな場所なんだろう、何でそんなところに人が帰ろうとしているのか、そんな場所を是非、自分の目で見てみたい、その思いでここに来て、で、実際に来てみて三郎さんたちと話してみて、ふるさとって生まれ育った場所だからどうこうなのかもしれないけど、『なぜか帰ってきたくなる場所』、そういうものをすごく感じました。』
■『古きよき日本の風景というか、雰囲気というか、三郎さんたちの人柄もそうですし、自分が普段街の中で生活していて欠けているところが満たされていく感じがして、越波に来るたびにエネルギーをもらっているなぁと思います。』
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―――あなたのふるさとはどこですか?それは今のあなたにとってどういう場所と言えますか?
(この質問も参加者の方に話してもらいました。)

■『僕の地元は本巣市の糸貫地域です。ふるさとがどんな所かっていうと、まぁ普通のところです笑。でも、ふるさとってどこにでもあるような場所なんだけれど、自分が犬を連れて散歩した思い出とか、そういうのが詰まってて…。たまに実家に戻ってくるとやっぱりいいなぁーと思うし。数年前、近くに大型のショッピングモールができたりして、その灯りが嫌でこっちの領域に侵入してくるなよって思ったりした。ふるさとって何かって考えた時に、結局、自分の中のアイデンティティーというか、突き詰めていったら、自分のふるさとしか残らんなぁーって思って、だからやっぱり大事な場所なんじゃないかなぁって思います。』

■『自分にとってのふるさとがどういう場所なのかっていうのは、まだよくわからないというのが正直な所です。私の地元は新宿なので、何不自由することなく今まで生きてきた。逆に田舎に行って不便な所が嫌だなって思ったこともない。昨年から新宿を出て縁もゆかりもない岐阜県という場所に来ることになって、岐阜県は自分にとっては全く新しい場所だけど、なぜか来たいなって、ここで生活してみたいなって…。それは何が理由なのか、たまたま妻の実家が岐阜県だからなのかもしれない。でも、だからといって今まで自分が生まれ育った新宿を離れたきっかけでもないような、正直、全然整理がついてないけど、自然と足が岐阜県に向いて、仕事にも就けて。自分は全然育った場所じゃないのかもしれないけども、生き続けたいと思う場所、それがふるさとなのかなぁと思ってみたり…。でも、やっぱり新宿の方がって思うのかもしれないし笑。これについては、これからゆっくり感じていきたいなって思ってます。』


三郎さん:「今のお話の中で出た考えと全く同じ考えを持っています。僕が越波に帰ってきてどこがいいの?と聞かれてもですね、説明のつかないものなんですよ。ふるさとって説明がつかないんです。何でだか足が向く、そんな場所。」

参加者の1人に「まっくす(僕)はどうなの?」と聞かれました。

僕:「僕は北海道の札幌生まれで、育ったのは隣にある北広島市。高校卒業してから上京してるので、北海道を離れてもう8年くらいになるんですけど、北広島は札幌のベッドタウンで住宅しかない町だったし、これといった特産もないし、アクセスは便利だったけど、当時はあんまり好きじゃなかった。で、東京に行ったら人も刺激も沢山あると思って上京した。地元を離れてからも、年末年始は必ず帰省しているんだけど、年を重ねるごとに地元が恋しくなってくるというか…、地元の友達がいたり、家族もいるし、昔遊んだ公園があったり、近所のおじさん、おばさんもいるし、住宅しかないと思っていたけど…、『安心感』がある。それが1番強いのが地元なのかなぁと思います。」

三郎さん:「やっぱりここで生まれた人間がですね、ここが滅びるとこを見たくないですね。生きている限り、この村に1人もいなくなったから、役場から×印をもらうということは絶対にしたくないですね。たとえ1軒になったとしても残っていてほしい。いつまででもそうあって欲しいと思う。」


【後半戦】

―――越波の嫌いな所はありますか?
(参加者の1人から出た質問です。)

秀若さん:「嫌いなところありますよ。昔はね、こんなところに住みたくないなって思ってました。環境は厳しい、ものはない、食べ物は満足にないからね。でも、仕事を退職して越波に来るようになった今思うことは、越波にも心が閉鎖的な人がいるんですよね。三郎さんが自治会長として一生懸命にやっとる、そのことを一部の人たちは100%応援しとるわけじゃないんですよね。例えば、集会所の改修にしても、改修して何するんや、とかね。でも、大多数の人は三郎さんのやっていることに感謝してるんですけど。嫌いなとこって言われると、そういう閉鎖的な部分かな。この『越波ふるさと会議』でも、もう少し出身者が話し合いに参加するとかね、本当にその点は皆さんには申し訳ないと思っています…。そういう閉鎖的で消極的な所がなくなってくれたら良いなぁと思いますね。」

秀若さん:「ふるさとっていうのは、何も考えずに落ち着いて、ぼーっとできる場所かなって思ってね、無心になれる場所、それがふるさとなのかなって思う。」

三郎さん:「たまたま夏休みに出身者の方が蛇池にお孫さんを連れていったら、めちゃめちゃはしゃいで遊んでくれて、『三郎さん、ありがとうねー、あんな良い遊び場所作ってくれてー』とおばあさんから感謝されましてね。」

僕:「出身者の方に話を聞くと、『蛇池』というフレーズを出した瞬間に目がキラキラ輝きだすんです。昔、学校の昼休みに、クラス中の子供たちみんなで自転車に乗って蛇池に行って、みんなで遊んで帰ってきてまた授業を受けるってことを毎日していたみたいです。それくらい皆で遊んだ思い出の場所なんだなぁーって思いました。」

秀若さん:「昔は蛇池に沢山の魚の種類がいたんですよ。それに近くに畑が作ってあったんですよ。それで遊んでて魚とったり、よその畑からきゅうりとって食べたり、さつまいもとってきて洗って食べたりね、まぁ盗んでとも言うんかな笑。でも、それがね許容範囲やったんですよ。そういう思い出が今でも脳裏にあってね、それが目がキラキラする理由なんじゃないかなー。」

ここでまた参加者の1人から貴重な意見が出ました。
■「すごく言いづらくて、もしかしたら誤解を与えるかもしれないんですけど。長いスパンで考えた時に、集落を物理的に残すっていうのは絶対的に不可能だと思うんです。なんでかっていうと、ここに見えた方にとっては故郷かもしれないですけど、その方たちがいなくなった時に、その方のお子さんやお孫さんにとってみれば生まれた場所でもなく、強い思い入れがあるわけでもない場所になってしまう。例えば、蛇池を整備しましたとか、それは僕はとても良いことだと思います。ただ、それは今回のように越波の方からお話を聞く機会があれば、思いは伝わってそこは特別な場所なんだっていうふうに伝わるのでいいんですけど、それを知らない人から見ると、ただの観光地なんですよね…。さきほどの話だと、お孫さんにとってはどうなのかって考えた時に、そこは遊んだ場所のひとつでしかないので、そこが難しいところだと思うんですよね。話を戻しますけど、物理的に残すっていうのは難しいと思うんですけど、僕は昨日初めて来てまだまだわからないことは多いですけど、『形に残らないものをどう伝えていくのか』っていうことを考えていく。で、こういう今の機会っていうのはそれに打ってつけだと思うんですよね。ただ河原が整備されたからBBQしにこようかってやって来る人と、今回の僕たちみたいに自分たちで整備のお手伝いをして、お話をしっかり聞きました、とでは全然違うと思うんですよね。そういうコミュニケーションっていうか…。そういう機会を今回に限らず増やしていくことが大事なことなんじゃないかなって思います。」

さらにもう1人の参加者からも熱い言葉が語られました。
■「私自身思うのはいくら行政がやっても、そこに住んでいる人たちが、そこを想う人たちが自分たちからやっぱり発してくれないといくら行政側が発してもミスマッチになってしまいます。お互いに話をしてこの地域をどうしていきたいのか、本当の意味での話し合いが必要。自分たちの地域に対してどうやって魅力を持ち続けるのか、また住んでいる人たちがそれに触れてみたいと思うのか、そういったことをどうやってつなげていくのか、それを今後、行政は真剣に考えていかないと…。私自身もどう答えを出せばいいかわからないけれど。もっと柔軟な発想で色々な考えを結び付ける必要があると思います。」

三郎さん:「先のことを考えたら後継者がどうとか暗くなってしまうこともあるんですよ…。」

またまた参加者の若者から雰囲気を一気に明るくする言葉が出ました。
■「ここで生まれて幼少期の時の思い出がある人以外の人も越波に関わっていかないとどうしようもないと思うんです。まっくすみたいにここに生まれた人じゃないんだけど、第2のふるさとみたいな感じでここに関わっていくっていう人が増えていかないことには絶対に存続していくことは無理だろうと思っています。あと、ちょっと全体的に暗い感じなんですけど、僕は前向き、っていうか明るい展望をもっていて…、まぁ今までの感覚だと言い方悪いですけど、行政的にはお荷物とされている感じはあったと思うんですけど、でも今の世の中は変わりつつあると思っていて、こういう所こそ良い所でむしろ先進的な所だなって思います。誰かが移住しろっていうのは難しいかもしれないですけど…。」

11:35「越波ふるさと会議」終了
11:55 集会所→食事処たなかへGo!!
13:00 食事処たなか着、昼食
14:10 2日間の感想をシェア

【2日間の感想】
■『私は越波週末ワークキャンプに参加するのは3回目なんですけど、毎回違う姿を見ることができて、違う人と出会うことができて、それが自分がリラックスする方法になっているなぁと思いました。』
■『今回は自分の内側(ふるさと)のことについて考える貴重な機会になりました。また来たいと思います。』
■『みんなで一緒に作業したのも楽しかったし、いろいろな人の考えを聞くことができて刺激になったし、この2日間は一生忘れないと思います!三郎さんの話を聞いて、いくつになっても熱意をもって生きていきたいとも思いました。』
■『台風前に来た時の蛇池が台風で変わってしまっていて、それをみんなで作業して作業後に大きな変化があってすごく良かったです。』
■『東京から来ましたけど、西日本の中で自分のふるさとは越波になるんじゃないかなと思いました。また来たいなと思いました。』
■『僕のふるさとって、今住んでいる所というよりは、岐阜全体なんじゃないかなーって思いました。そういったことを確認する貴重な機会になりました。』
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三郎さん:「今ね、皆さんの話を聞いてましてね、ちょっと目が潤んでいるんですけど、まっくすが企画して、今回で3回目を迎えたわけですけど、感極まっている状態です…。自分はなんという良い人生なんだろう。そしてまだ僕の3分の1しか生きていない若い皆さんに三郎さん、三郎さんと呼んでいただける、これから先、どうしてお返ししていったらいいのだろうということもあります。それから1番心にあるのは、これが最後にならなければいいなぁと。まっくすが来年いなくなったらどうなるんだろうなぁと思ったりしますね。良い巡り合いだったと思っております。73歳ですけど、若い皆さんと知り合えて、ひょっとしたらこれが最後になるのかもと思うと、つらい部分があります。それくらい今回の週末ワークキャンプは心打たれるものがありました。どうかいつまでも越波という場所を忘れずにいてくれたら嬉しいなぁと思います。心からありがとうございました。」
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14:40 食事処たなか→樽見駅へGo!!
14:45 樽見駅で解散

終わってみて、色々考えることがありました。
複雑な思いも正直あったりします…。
この2日間で出てきた言葉は、間違いなく越波集落にとっての財産です。
僕自身にとっても財産になりました。
全てをこのブログでなるべく伝えようと思いましたが、何か伝わったでしょうか?
この内容を受けて、僕自身、地域おこし協力隊として色々と考えなければいけないことが沢山あります。
今回、特に「越波ふるさと会議」の後半戦については、本当に大事な部分に踏み込んだ話し合いになったのではないかと思います。

【最後に・・・】
越波地区の皆さん
参加者の皆さん
まくわうりアイスを持ってきていただいた大和さん
さば寿司を提供していただいた黒田さん
弘法芋を調理していただいた光子おばあちゃん
その弘法芋を届けていただいたとおるさん
あまごを釣っていただいた田口さん
あまごを調理していただいた三郎さんの奥様
玉ねぎを提供していただいた高橋さん
写真を撮っていただいた美穂ちゃん
道具を貸していただいた上、作業もお手伝いしていただいた㈱所組の増元さん、松葉さん
特別に煮物を作っていただいた食事処たなかのお母さん
2日間行政バスの運転をしていただいた青山さん
「越波ふるさと会議」を撮影・取材していただいたCCNetの加藤さん
「越波ふるさと会議」を観に来ていただいた島田さん
「越波ふるさと会議」を埼玉県からわざわざ観に来ていただいた小林さん
備品を沢山貸していただいた上、運搬もお手伝いしていただいた根尾公民館の皆さん
そして、2日間撮影・取材していただいたメ~テレの青木さん、則武さん、中村さん

皆さん、本当にありがとうございました!
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by motosu-neo | 2014-09-11 14:22 | 週末ワークキャンプ


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