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本巣市地域おこし協力隊~まっくす隊員ブログ

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2014年 11月 28日

ご報告。

2012年9月1日から、岐阜県本巣市地域おこし協力隊として活動をして参りましたが、2015年1月31日を持ちまして退任することになりましたので、ここに報告させていただきます。そして、退任後は地元の北海道に戻ることにいたしました。

任期満了は2015年3月31日でしたが、様々なことを考慮した結果、誠に勝手ながら、自らの意志でこのような決断をすることといたしました。多くの方々にご迷惑をおかけすることになりますこと、心よりお詫び申し上げます。また、本来ならば直接ご挨拶をすべきところ、多くの皆さまにはこの場をお借りしてのご報告となりましたこと、重ねてお詫び申し上げます。

まずは、本巣市地域おこし協力隊に着任してから関わることができた全ての皆さまに、心から深く感謝を申し上げます。
本当にありがとうございました。

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▲淡墨桜の近くにある秘密の展望台から見える根尾地域の風景(2014年9月29日撮影)


ここからは少し、今の素直な気持ちについて書いてみようと思います。
その前に、今年度に入ってから任期後のことについて、根尾地域の方々をはじめ、日頃お世話になっている多くの方々にご心配していただきました。改めて、ご心配していただだいた皆さま、ありがとうございました。



【地元への想い】

地元の北海道で18年半。
東京で6年弱。
根尾地域で2年弱。
気がついたら、地元の北海道を離れて8年半…。

地域おこし協力隊として活動をする中で、地元の人やモノを"生き生きと"発信する人と出会いました。
"一生を懸ける覚悟"をもって地域のために奔走している人とも出会いました。
このように尊敬できる多くの方々と出会う中で、自分自身に問いかけを繰り返す日々が続きました。
また、地域おこし協力隊として深く関わっていた越波地区での活動を通しても、様々なことを考えさせられました。
廃村寸前という厳しい状況にありながらも、その状況に正面から向き合い、ふるさとである越波を何とか残していこうと奮闘する姿。
越波での活動を通して、自分の地元である北海道のことについて何度も考えました。
地元を離れている分、余計に越波の人たちがふるさとのために頑張っている姿に心を打たれたのかもしれません。

今年2月、東京から地元に戻って起業している方が話してくれた言葉が強く印象に残っています。
「これからの人生を何に使いたいかって考えた時、『地元』のために自分の人生を使いたいと思った。」
こうして地域で頑張っている多くの方々と出会う中で、『地元である北海道』に対する特別な気持ちが湧き上がってきました。



【根尾地域について】

まず、『根尾地域は間違いなく第二の故郷です。』
27年間の人生で、初めて田舎で生活したのが根尾地域でした。
こんなにも"地域と生きている"という感覚の中で暮らしたことはありませんでした.

地域の人と飲み会をすること、地域の皆さんと人生について話すこと、近所の子供たちと一緒に遊ぶこと、みんなが知り合いという中で暮らすこと。日々なにげなく交わす挨拶、ちょっとした会話。
その全ては、今までに住んだ街では経験することができないものでした。
また、地域の方が「将太(下の名前で)」、「まっくす」と親しみを込めて自分の名前を呼んでくれることも、本当に嬉しく思っていました。
地元以外で地域の方からこうやって名前を呼んでもらったことは今までありませんでした。

最近はよく近所の方にお呼ばれ(飲みの誘いを)してもらっています。
そこでいつも話題にあがるのは、自分の任期後のことについてでした。
任期後の動きについて本気で心配してくれていること、本気で自分のことを考えてくれていること、自分の今までの活動を認めてくれていること、根尾地域に残りたいのであれば全力で支援するということ、それらをはっきりと伝えてくれました。
地域の方が誰よりも見てくれていることを知り、言葉では言い表すことができない嬉しさを感じました。

地元に帰ることを話した時も号泣してくれて、その後も変わらずに呼んでくれました。先日は、誕生日も祝ってくれました。
地域の皆さんには本当に温かく接していただきました。



【大事にした部分】

先日、プライベートですが、地域おこし協力隊の同期6人で京都に集まりました。
その時、話にあがったのが「まちづくりって何か?」
そこで、ある隊員が言ったのは、『まちづくり=暮らすこと(生活すること)』
最近、僕もちょうど同じことを考えていたので、ちょっと驚きました。

まずは、まちづくりを考える前に、個人の暮らしがあるということ。
1番身近にいる人、大切にしなくてはいけない人、それらを犠牲にするのは違うような気がします。
最近よく思うのは、家族と一緒に地域に暮らしながら、しがらみとも上手く付き合い、地域活動にも参加している地域の人は自分なんかより、よっぽど立派なんじゃないか、ということ。

今、住んでいる根尾地域に何かが足りないから残らないということではありません。
東京から根尾地域に来た時は、知り合い“0人”でした。(そもそも岐阜県に知り合い“0人”)
しかし、今は周りに自分のことを想ってくれる人が大勢います。
それでも僕は、「地元で暮らしていく」ということを選びました。
これからずっと…と考えた時、地元に帰るという選択は頭から離れることはありませんでした。
最終的に、根尾地域に残らないことを選んだ自分には、東京を離れる2年前に地元に戻れば良かったのではという声も出てくるかもしれません。
ただ、僕自身にとって、地域おこし協力隊として根尾地域で過ごした時間は必要でした。
ここで過ごした時間があったから、自分の「生き方」について本当の意味で考えることができたと思っています。
これは、根尾地域の皆さんから教えていただいたことの1つだと思っています。

これまでも、これからも、自分の決断が正しいか、間違ってるか、良いか、悪いかどうかはわかりません。
わからないからこそ、それを自分で納得のできるものに変えていくしかないと思っています。
次のステージでは、リスタートという感覚はありません。
場所は確かに変わりますが、今までの時間や経験がつながった状態で走り続ける感覚です。

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▲北海道の風景(2013年9月9日撮影)



【地域おこし協力隊について】

現在、「地域おこし協力隊」の制度については、多くの地域で課題や問題点が挙げられています。
僕自身、このブログではその点についてあまり書いていませんが、実際に多くの地域でそういう状況があることについて、多少は把握をしているつもりです。そして、本巣市も他の地域と同様に課題はあります。

僕自身、地域おこし協力隊に着任してから、疑問に思うこと、戸惑うことは沢山ありました。でも、これらについては、誰かのせいにしたり、置かれた状況のせいにするのは簡単ですが、僕は誰かのせいにしたり、置かれた状況のせいにするつもりはありません。ただ単純に、『自分の情熱が弱かった。』だけだと思っています。

現在、地域おこし協力隊は全国に1,000人以上。
1,000人もいれば色んな隊員がいると思いますが、実際に僕が研修などで一緒になった隊員、個人的に連絡をとっている隊員の多くは、"強い信念"をもっている人です。この仕事をしていて心が折れそうになった時、電話やメール等で相談したり、近況報告をしたりする隊員もいました。みんなのおかげで今まで頑張ることができました。
こうした素晴らしい仲間と出会えたことは、自分自身のかけがえのない財産です。


重ねてになりますが、今までお世話になった全ての皆さまに心から深く感謝を申し上げます。
これが最後のブログ記事ではありません。伝えたいと思うことは、また記事にします。
長文ではありましたが、最後までお読みいただき、ありがとうございました。

by motosu-neo | 2014-11-28 08:59 | 地域おこし協力隊


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