本巣市地域おこし協力隊~まっくす隊員ブログ

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2014年 10月 24日

廃村寸前の越波集落の自治会長さんと一緒に、敢えて廃村集落跡を訪ねてみた。

【廃村】
→過疎地帯などで、住む人のいなくなった村/市町村合併などにより、存在しなくなった村。


■10月23日(木)
本巣市の隣、山県市の椿(つばき)集落〝跡〟に行ってきました。
今回訪れた椿集落は、1501(文亀1)年頃にはじまり、1971(昭和46)年に廃村となっています。

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▲集落跡にある椿村の人家分布図の石碑(2004(平成16)年10月建立)


この人家分布図を見ると下村・中村・上村あわせて67戸もあったことがわかります。(当時67戸全てに人が住んでいたかは分かりません。)
そして、この石碑の場所からさらに北に1kmほど進むと、椿分校の跡地にたどり着きます。
廃村となった同年に椿分校も閉校となったようです。


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▲椿分校跡地の石碑

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▲使われることがなくなったジャングルジムとブランコ



本巣市役所根尾分庁舎から車で1時間の位置にある椿集落跡。
確かに途中からかなり細い道を通らなければいけないが、峠を越えるわけでもないし、決してへき地だとは思わなかった。


―――ではなぜ、椿は廃村したのか。

結論から言うと、当時、行政側が進めていた「集落再編成事業」によるものだった。当時、岐阜県では、1967(昭和42)年に「岐阜県へき地対策推進要綱」を策定。さらに1969(昭和44)年には、へき地の解消を促進し、地域住民の福祉水準の均質化を図ることを目的に「岐阜県集落再編成事業推進要綱」を設けた。当時過疎化が進行していた椿集落は、この流れで集落移転をしたという。


行政側も集落再編成に先だって、椿集落の住民に対しての意向調査も行った。
大半の住民は「住んでいる土地に愛着がある」、「住居を他に移す考えはない」と回答したらしいが、最終的に1971(昭和46)年に住民たちは椿を離れて、椿集落は廃村となっている。


椿集落跡のすぐ手前には、椿を離れた人たちのお子さんにあたる人たちが何人か住んでいる。
そこは通称:椿団地と呼ばれている。
庭に椿があったお家の方にお話を伺ってみたが、椿を離れる決意をした当人ではなかったりして、なぜ「ふるさと」を離れることを選択したのか、その当時の心境はどうだったのかを知ることはできなかった。


当時の住民たちの心境も気になるが、当時の行政側の判断がかなり大胆なことに驚いた。
なぜなら、椿集落が廃村になったのは今から約40年前の話。
住民からの反対意見も多くあったかもしれないが、行政側は強い決意をもって椿集落の集団移転を進めたのだろうと思う。

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今回、椿集落跡に行ってみて、結果としてそれが良かったのかどうかはわからない。
でも、きっと椿に生まれた人にとっては、「ふるさと」が廃村となってしまったのだから、寂しい思いをしているはずだ。
実際に、少し前にふるさとに思いをはせた冊子「ふるさと椿」が発行されている。
椿集落の元住民らで作成したようで、やはり「ふるさと」に対する思いは強かったことがわかる。

ちなみに、現在僕が関わっている根尾地域の越波(おっぱ)集落にも、同じような冊子「ふるさと越波」がある。
越波の歴史や昔の暮らしの様子がわかる冊子となっており、15年ほど前に出身者の有志の手によって作成された。

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▲冊子「ふるさと越波」

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今回、椿集落跡は越波の自治会長である三郎さんと一緒に訪れた。
椿集落跡を訪れたのは、三郎さんから「廃村となった集落を見てみたい。」という話があったからだ。
この日は先月から取材していただいている、メ~テレさんも同行し、椿集落跡を訪れている様子を撮影・取材していただいた。

ディレクターさんが色々と三郎さんに質問をしていきます。
三郎さんは、廃村となった椿集落を見て、
「人がいない、家の残骸も40年経って綺麗になくなっている。山と川だけがある場所になってしまった。ある意味、自然に帰ってしまったというか…。」と声を絞りだして話していた。

現在、越波はたった2人だけの集落。
三郎さんは、いずれ越波も…という気持ちもあると話していた。

先日、ある人から「越波でやっていることは意味がない。」と今やっていることを全否定されるという出来事がありました笑。

地域おこし協力隊として、今やっていることを応援してくれる人も多くいます。
ただ、その人から見たら、あまり意味のないことをしていると思えたようです。
それに対しては、怒りの感情などはありません。
言われた時に逆ギレなんて、もちろんしていません。
色々な人がいるので、1つの意見として素直に聞きました(正確には聞き流しました。かな?笑)。

まぁ、そういうこともあったりするんですが、
ただ、今現在、たった2人だけという厳しい状況にも関わらず、越波を何とか残そうと思って行動している人がいる、それに協力している出身者の人がいる、「ふるさとに対する熱い思い」を持って活動している人たちを近くで見ているから、その人たちを手伝いたいし、助けになりたい。
僕の一番底にあるのは、たったそれだけの理由です。

熱い思いが見えてこなかったり、もうどうでもいいと諦めている人だったら、そうは思わないと思います。そこに対して「手伝います!助けたいです!」というのはただのお節介かもしれませんし…。

根尾地域に来てから、全ての集落の人たちと交流をするなかで、最も『自分たちの集落をどうにかしていきたい!』という熱意が最も伝わってきたのは越波でした。危機感を強く持っていたのも越波でした。
ひょっとしたら、その越波も廃村となる日がいつかは訪れるのかもしれません。
ただ、それがいつなのかは誰にもわかりません。
だからこそ、今出来ることをやっていくしかないと思っています。
三郎さんも敢えてこのタイミングで廃村となっている場所を訪れるというのは、結構勇気が必要だったのではと思います。
普通ならあんまり考えたくないことだと思いますし。
でも、実際に椿を訪れて、何かを感じようとしていた。
すぐに解決策がぱっと浮かんだわけではなかったようですが、そういう姿勢がすごいなーと素直に思いました。

決して越波は「立ち止まってはいない
そこは何より大事な部分だと思います。
今回、椿を一緒に訪ねてみて、そう感じました。

※今回の撮影・取材でメ~テレさんの撮影分は終了。越波での取り組みについては、メ~テレのニュース番組「UP!」で放送される予定です。放送日決まったら、またお知らせします。
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by motosu-neo | 2014-10-24 14:30 | 越波地区


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